南瞻部洲万国掌菓之図 宝永7年(1710)

¥5,500¥16,500

刊年:宝永7年(1710) 文台軒宇平 蔵版 頭陀浪華子(鳳潭)
XL:9000 × 7243 pixel 653 × 525 mm (350dpi) JPEG / RGB
L :6000 × 4829 pixel 435 × 350 mm (350dpi) JPEG / RGB
M :3000 × 2414 pixel 217 × 175 mm (350dpi) JPEG / RGB

江戸時代に描かれた日本最初の仏教系世界図。

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説明

刊年:宝永7年(1710) 文台軒宇平 蔵版 頭陀浪華子(鳳潭)
XL:9000 × 7243 pixel 653 × 525 mm (350dpi) JPEG / RGB
L :6000 × 4829 pixel 435 × 350 mm (350dpi) JPEG / RGB
M :3000 × 2414 pixel 217 × 175 mm (350dpi) JPEG / RGB

江戸時代に描かれた日本最初の仏教系世界図。

南瞻部洲万国掌菓之図について
元禄・宝永(17世紀末-18世紀初)の頃に久修園院の住職宗覚によって作られたと言われる「南瞻部洲之図」を改訂し、西洋の地理知識を一部書き入れた “仏教系世界地図”で、宝永7年(1710)に、浪華子によって刊行された。本図は、逆三角形でカブラ型の「南瞻部洲之図」と比べてやや左右の対称性は失われており、また、「五天竺図」や「南瞻部洲之図」と違って、玄奘の足跡を明示することもない。須彌山を中心に、インドや中国以外にも様々な国々が描かれており、北東部にはヨーロッパが群島状に描かれ、日本の南北にも島が見られ、仏教世界を中核としつつも、全体的な南瞻部洲の世界図を作成することを意図したものである。板行の南瞻部洲図としては最初で、かつ最も詳細な図として広く知られ、多くの通俗版や簡略版が本図を基にして刊行され、庶民の間で流布した。

作者の浪華子について
作者は、近世華厳宗中興の祖・僧濬(号・鳳潭)で、浪華子は彼の筆名であるといわれる。比叡山延暦寺で修行し、華厳宗再興に力を注いだ稀代の学僧で、享保8年(1723)には京都で寺を開山した。妙徳山華厳寺(通称・鈴虫寺)という。「華厳の鳳潭」とも呼ばれ、華厳を以て一代の業を為した。

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※ 古地図の性格上、年月の経過による原画の変質・欠損などがある場合があります。
※ 部分的に歪み補正・虫食い補正・破れ修復処理を行っているものがあります。

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